遊ぶために生きているし、遊ぶ金欲しさに働いている

「1997年からフジロック皆勤賞」をアイデンティティにしている私。昨年までは、春から秋まで毎月のようにフェスに繰り出し、ライブにも頻繁に通う日々を送っていた。

「労働」が暮らしの大部分を占めるサラリーマン生活を始めて、15年ちょっと。今は生き生きと仕事をやれているし、オフは家族とあちこち行ったり独りで黙々とネットに没頭したりして自分なりに充実した日々を送っている。

だが20代の頃はずっと「押しつぶされそうなほどしんどい仕事」と「それが頭から離れず落ち着かない週末」で構成されたモノクロの日々を送ってきた。それをカラフルなものに変えていけたのはなぜだったのか、振り返っていきたい。

仕事がうまくいかず、フェスで現実逃避していた日々

「今しかできないことだから!」と自覚して、学生時代は体と時間の許す限り国内外のフェスやライブに足を運んだ。

しかし、大学を卒業して会社員としてのっぺりとしたスーツや量販店で選んだ味気ない革靴を履いてからも、娯楽の現場へ足を運ぶ回数はそんなに変わらなかった。そこを維持しないとどうにかなってしまいそうだったからだ。

私の社会人デビューは大失敗していた。気合を空回らせて簡単なタスクすらうまくこなせず、その失敗経験が次のステップを阻んだり。「どうしようどうしよう」と常時脳内は赤信号に。

今しがた当時のmixi日記を開いたら、毎朝マドンナのアッパーなダンスチューン『Hung Up』を爆音で聴きながら出社する様子が綴られていて震えた。こいつ詰んでる。新卒で入った会社も3カ月で辞めているし……

そんな調子の自分は、転職してからも、業務終了後に同僚と飲みに行くわけでもなく、オフィスを逃げるように出てあらゆる娯楽にしがみつくほかなかった

汗だくでお台場のZepp Tokyoから自宅まで戻る電車の中で自分より立派そうなサラリーマンを見て「ああ……」とシャツが底冷えしたし、なかばやけっぱちでスーツのままバイクに乗って向かった年のフジロックは当然いろんな意味で落ち着かなかった。やっぱりゴアテックスに着替えたほうがいい。

全力で楽しむためには修学旅行並みの準備を

ある夜、夫婦デュオ・ハンバート ハンバートのライブ中のこと。優しいアコースティックサウンド主体の空間にいても、まったく穏やかな気持ちで音楽を聴けていないと気づいた私は「こりゃダメだ」と痛感した

おざなりな態度で自分の好きなものに向き合ってはいけない。このスタンスを変えねばと、エンターテインメントを取り戻す改革が始まった。

まず自分はGoogleカレンダーに、行きたいイベントの予定を書き込みまくった。ライブや新譜の発売日、アニメのオンエア日などもがしがし入れていく。とにかく勤務時間外をエンタメで埋め尽くし、移動時間も加味して登録する。無事にたどり着けるよう、修学旅行のしおり並に細かく移動ルートや行程を決めた。

こうすることで、「とにかく仕事をちゃんとやらなきゃ」とゴールもあやふやなまま焦るだけの日々から、着実に業務を仕留めるための意識が生まれた。公演時間から逆算してオフィスを出る時間、それまでに仕事を終えるという気持ちが磨かれていったのだ。その切り替えによって自然に仕事のアウトプットが増え、なかには手応えを感じる成果も出てきた。

今でこそマップアプリが徒歩も時刻表もまとめてルートを出してくれるが、当時の私は「Zepp Tokyoの19時開演に間に合う埼京線快速の発車時間は○時×分、駅まで徒歩10分」といった具合によくいく会場のルートや時間を記憶し、そこにたどり着くまでの仕事のしかたをとにかく追求しだした。

すべてはライブやホールで演者・作品と向き合うための努力だ。

遊びも仕事も、スマホ通知はオフにして全集中

ライブ中などにふとスマホに目をやって、仕事関係の通知で現実に引き戻されて台無しになったことは誰しも一度くらい経験したことがあるのではないだろうか。自分が働いてきた業界は「いつなんどきでも連絡が来ると思え」の世界だったので、しばしばこの憂き目にあった。

しかしこれらは端末を物理的に、または機能によって遠ざけることである程度“防衛”可能になった。

まず基本は、職場からノートパソコンを持ち帰らないこと。最近は幸か不幸かどこでも仕事ができてしまうので、その可能性を断ち切って「自分に延長戦はない」というモードを作る。業務時間内はなるべく頭の中を仕事一色に染め上げ、スパッと終えることに注力したい。

肌身離さず持っているケータイはそうはいかないが、iOSの「おやすみモード」のように特定の相手、または「3分間の間に2回着信」といった条件下で初めて着信という設定にすることでだいぶ静かになってもらえる。

自分の仕事を後腐れなく、気持ちよく終わらせておくことが大前提だが、オフの最中に強制起動させられそうな要素は省いておくに越したことはない。

遊ぶときだけでなく、仕事のときも同じだ。

集中したいときは働く環境やパソコンの中身に仕事以外の要素を持ち込まない。PCやスマホのブラウザの中身を「仕事用」「生活用」でわけて使ったり、TwitterやInstagram、FacebookといったSNSからはすべてログアウト。利用するためには一手間必要な状況を作っておくだけでも、サボることへのハードルを上げられる。

自分で工夫することにより、仕事とそれ以外のすみわけは意外にも簡単にできる。環境を整えることで自ずと集中できる習慣が生まれた

職場でのキャラも「7月末は必ずいなくなるフジロッカー」に

仕事のしかたや切り替え方について工夫を重ねたものの、自分でやれることは限界がある。それに、そもそも働く上での息苦しさは何か考えると、結局は誰かの評価を気にしたりチームメンバーの足を引っ張ったりすることに対するストレスだったりする。それに気づいてからは、周囲への見え方も変えるようにした。

自分は転職する際にも「フジロックには毎年行きます」と、入社時だけでなく採用面接の自己紹介から言うようにしているし、SNSアカウントもすべて開示している。20代まではプライベートを線引きしていたが、リアルバレを気にして神経使うよりも、よっぽどヘルシーに生きていけるのだと30代にしてわかった。

こっそりTwitterをやっていても、会食時に付けたタグなんかでいずれ誰かに……という可能性はゼロじゃない。それに、すべてをさらした上で付き合える組織のほうがカルチャーフィットして気持ちよく働けるものだ。

こうすることで「7月末は必ずいなくなるフジロッカー」というキャラクターが前提として共有され、スケジュール調整がスムーズになった。自分がスケジュールにNGを入れることはむしろみんなのため、というぐらいのほうが呼吸がしやすかった。

遊びにメリハリをつけるため働いていこう

ここまでつらつらと得意げに書いてきたが、失敗したなーと思った取り組みはたくさんある。なかでも一番大きかったのは「24時間全部オフ」状態にしてみたときのことだ。

自分はある年、「あれもこれも、海外にも行きたい……のに仕事なんて!」と退職届を出して身軽な格好で夏を迎えたことがある。

平日は床に寝転がったりネットをして、フェスには前乗りで会場に到着、終わったあとも日常に戻っていく友人たちを眺めながらパジャマで過ごす。でも、境目はない生活は刺激もなんだか緊張感がないし、それをSNSに書くのも後ろめたさがあって、何より自分が楽しくない

そんな学びを得てからは、あれだけ自分を抑圧するものだと思っていた仕事も娯楽を享受するための充電期間だと思えるようになった。そして週末も「来週ヘビーだから48時間全力でいかんと!」などと、楽しむ火力がひときわ増した気がする。

遊びも仕事も工夫を重ね、持てる力をすべて注ぐような気持ちでやってみる。−−そんなスタンスでいれば、自然と楽しみ方だけでなく働き方にも作用すると学んだ。おかげさまで今の私は、大好きな曲を爆音で浴びるのと同じくらい、仕事のタスクを処理することに快感を覚えて生きている

この記事を書いた人

本人

本人(ほんにん)

平日にサラリーマンをしつつ、さまざまなライブやフェスに足を運んでその様子を記録するインターネットユーザー。現在はステイホーム下の育児で混沌と発見の日々を送る。エッセイ『こうしておれは父になる(のか)』発売中。

Twitter:@biftech