2019年の年末に発生し、世界中で現在も猛威をふるっている新型コロナウイルス。

日本で初めての感染者が確認された2020年1月中旬の時点では、まさか、ここまで世界を変えてしまうとは思ってもみませんでした。

1年前の自分に、「来年は小学校が3カ月も休みになって、子どもたちはパソコンの画面で授業を受けるようになる」って言っても、絶対に信じなかった。

医者としてこの時期に仕事をすることになったのは、なんという巡りあわせなのか。

この社会には2種類の仕事がある

『コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線』(朝日新書)という本に、イギリス在住の作家・保育士のブレイディみかこさんの話が収められています。

著書『負債論』で有名なデヴィッド・グレーバーは、何年も前から「ケア階級」という言葉を使ってきた。医療、教育、介護、保育など、直接的に「他者をケアする」仕事をしている人々のことである。今日の労働者階級の多くは、じつはこれらの業界で働く人だ。製造業が主だった昔とは違う。コロナ禍で明らかになったのは、ケア階級の人々がいなければ地域社会は回らないということだった。私たちの移動を手伝うバスの運転手や、ゴミの面倒を見てくれる収集作業員などもここに含まれている。

ケア階級の人々はロックダウン中、「キー・ワーカー」と呼ばれ、英雄視された。毎週木曜日の午後8時に家の外に出て彼らに感謝の拍手を贈る習慣が続いたし、メディアでも「サンキュー、キー・ワーカーズ」のメッセージが繰り返された。

デヴィッド・グレーバーさんは、「ブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)」という概念の提唱者としても知られています。

ブルシット・ジョブとは「高給でもクソな仕事」のことで、社会には「人の役に立つ意義が感じられないのに高収入な仕事」と「社会に必要なのに低賃金な仕事」の2種類があるというのです。

それはこう言い換えられるかもしれません。「世の中には2種類の仕事がある。テレワークで可能なものと、不可能なものと」。新型コロナ禍で、「人に直接接しないと成立しない仕事」というのが、あらためて浮き彫りにされたのです。

医療従事者が直面している現実

パソコンが進化し、通信速度が速くなり、多くの情報が送れるようになっても、現在の科学技術では消防署員が火事や急病人をテレワークでなんとかすることはできないし、警察官もテレワークで泥棒を逮捕できない。宅配便もウーバーイーツも、配送車から届け先までのラストワンマイルは今のところ、人が運ばざるをえません。

日本でも役場で「医療従事者に拍手を!」という運動が行われていたのですが、それをテレビで観たとき、僕は「なんだかなあ」と思わずにはいられなかったのです。彼らに悪気はないのはわかる、わかるのだけれども。

その拍手のニュースを見る数日前、僕は幼稚園に行っている息子が、友達のお母さんから、「〇〇君のうちはお医者さんなんだよね。うちの子に病気がうつらないか心配だから、××(友達の名前)とは、しばらく一緒に遊ばないでね」と言われた、という話を聞いたのです。

医者である妻も、幼稚園で、他のお母さんから「コロナ、大丈夫なの?」と訊かれたのだとか。

医療をやっている側としては、「自分も感染しているのではないか」という疑いを否定できないのは事実です。

僕自身は、3月からずっと家族と離れて生活していました。自分の仕事を考えると、絶対に感染しない、感染させない自信はなく、少しでもリスクを減らしたかったのです。

僕の同僚の医師や看護師にも、同じように子どもを実家に預けたり、ひとりでホテルに泊まって働いている人がたくさんいました。

感染リスクが高いことは自分たちがわかっている

患者さんと日々接している、「新型コロナウイルスへの感染リスクが高い集団」であることは、自分たちがいちばんよくわかっている

周囲の人たちが「医療従事者に危険を感じる」のも頭では理解できるのです。僕自身、「感染予防」という大義名分で他者に必要以上の距離を置いてしまっているところがあるから。

だからといって、医療従事者である親に直接ではなく、幼稚園で子どもに対してそんな扱いをするなんて、あまりにひどい

九州のある県で、看護師の子どもが保育園で「感染のリスクがあるから来ないでほしい」と言われた、というニュースをその前に見ていたんですよ。

「そんなことを言うのは、ごく一握りの非常識な人だろう」あるいは「フェイクニュースじゃないのか?」と思っていました。

まさか、自分がそれを体験することになるとは。それも、一度だけではなく。

何のために、誰のためにやっている仕事なのだろう

テレビ画面の向こうにいる医療従事者たちは、拍手され、「あなたたちのおかげで日常を送れます!」と感謝の言葉を贈られています。宅急便の人、スーパーやコンビニで働いている人も「キーワーカー」として拍手されています。

ところが、直接目の前に彼らが現われると、多くの人が、「新型コロナをうつされるかもしれない」と、「キーワーカー」たちを強く拒絶するのを、僕は何度も見てきました。

スーパーマーケットのレジで、手袋をした店員さんの手が身体に軽く触れただけで、怒鳴り散らしている高齢の男性を見たときには、唖然としたのです。新型コロナ患者がまだ出ていない地域だったのに。

「同情するより、金をくれ」というのは、けっこう昔に大流行したドラマのセリフですが、「遠巻きにして英雄視しなくていいから、目の前にいるときに差別しないでくれ……」というのが本音です。

こちらから進んでハグしにいったり、握手を求めたりするつもりもありません。でも、これみよがしに、避けられたり、拒絶されると、何のために、誰のためにやっている仕事なんだろう、と気が滅入ってしまいます。

僕はニュースで医療従事者に拍手をしている人たちの姿を見るたびに、あの人たちのなかにも、幼稚園に行っている子どもには「あの子のうちは病院だから、一緒に遊んじゃだめよ」とか言っている人がいるんだろうな、と、つい考えてしまうのです(そう思ってしまうくらい大勢の人から、そういう扱いを受けました)。

命がけで働いても金銭的には報われない

「病院勤めだと仕事がなくならなくて、いや、仕事が増えてうらやましい」みたいなことを言う人もいます。

でも、医療という産業にも、新型コロナは大きな損害を与えているのです。感染予防のための手間やコストは大きいし、感染が疑われれば隔離が必要となります。

直接新型コロナの患者さんの入院診療を行っているわけではない小さな病院(僕が勤めているようなところ)や外来のみのクリニックでも、感染を警戒して、外来受診者数は大きく減りました。リモート診療のための機器を買う費用も必要です。

先日は、ある大きな病院での今期のボーナスカットが報じられていました。働いている側にとっては、まさに命がけの仕事になっていて、ふだんより忙しく、家族と離れてまで働いているのに、金銭的にはほとんど報われていない、というのが現実です。

知り合いの看護師さんは、「こんな状況で感染のリスクを負って、怖いと思いながら働いているのに、1日の『危険手当』が、たったの2000円ですよ……」と嘆いていました。

病院を経営する側からすれば、スタッフに金銭的に報いたくても、収入が減っているので、どうしようもない、という現実もあるのです。

「医療者というのは、そういう危険と隣り合わせなのは承知の上で、この仕事を選んだのではないか?」と言われたら、確かにそうなのだと思います。

僕のなかにも、「なんのかんの言っても、仕事があるというのはありがたい」という気持ちはあるんですよ。周りのサービス業の人たちの苦境と不安の声を耳にすると。

子どもに対するいやがらせのような言葉も、発している人の不安な気持ちから出ているような気もします。

だからといって、子どもが酷い扱いを受けていい理由にはならないし、言われるほうは、たまったものではありません。

新型コロナが浮き彫りにしたもの

前述の『コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線』のなかで、ブレイディみかこさんは、こう仰っています。

コロナ禍の最中に「命か、経済か」という奇妙な問いが生まれてしまったのも、現代の経済が大量の「ブルシット・ジョブ」を作り出すことによって回っているからだ。そのため、病人を治療したり、生徒に教えたり、老人の世話をしたりする仕事は、なぜか経済とは別のもののように考えられてきた。だが、意義を感じられないどうでもいい仕事が経済の中心になれば、経済そのものが「ブルシット・エコノミー」になってしまうとグレーバーは言う。あたかもそれは人々の生活や命とは無関係で、「経済界」や「金融界」の中にのみ存在するもののように。そうした経済の在り方が、無意味に思える仕事に限って高収入で、本当に社会にとって必要な仕事ほど低賃金という倒錯した状況を生み、それが当たり前になっている。

英国では低賃金労働者への感謝は偽善的という議論もあった。家で仕事ができる身分の人々が、感染のリスクを冒して外で働く人々を持ち上げて利用するのはグロテスクだと言った知人もいる。キー・ワーカーに拍手をするか、しないか。ここでも分断が生じた。

人間がいまの形の「人間」であるかぎり、ロボットや人工知能が代替できず、最後に残る仕事というのは、「人を援助するキーワーカー」になりそうです。

新型コロナウイルスは、「人と人との接触の意味を変えてしまった病気」であるのと同時に、「人と接しなければならない仕事をやっている人と、テレワークでも稼げる人の『距離』を浮き彫りにした」のです。

この社会には、自宅でテレワークをしながら、キーワーカーにSNSで「イイネ!」を付けてすまそうとする人たちと、リスクを受け入れ、直接他人と接して働かざるをえない人たち、2種類の仕事があります。そして、その格差は、これからも、どんどん広がっていくのだと思います。

でも、そんな世の中を、僕たちは本当に受け入れられるのでしょうか。

この記事を書いた人

Fujipon

Fujipon(ふじぽん)

40代半ばの「なんか生きづらいなあ、と思いながら、ブログをずっと書いていたら、人生の折り返し点をいつのまにか過ぎてしまっていた」男です。九州の地方都市在住で、内科医として働いています。1年くらい前に大きな病院での当直や救急から卒業し、平穏な日々を過ごせるようになりました。

座右の銘は「人生経験が豊かな人というのは、基本的に嘘である」。趣味というか主食は本とゲーム。カープとレトロゲームと競馬とともに生きてきました。大好きな作家は、筒井康隆、村上春樹、中島らも。

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