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実力主義の海外では雇ってもらうという受身の意識で就職活動に臨む人は少ない
TV・ラジオを始め様々なメディアで活躍する国際派ジャーナリスト、蟹瀬誠一さんの経歴は実に多彩だ。

上智大学の新聞学科を卒業後最初の三年間は米国最大の通信社、AP通信の東京支局で働いた。外国の通信社を志望したのは、日本のことを正しく世界に伝えたいという思いがあったからだ。

AP通信は典型的なアメリカの会社で新入社員に対しても教育なしに即戦力を求めた。仕事は世界の報道機関に向けて配信する日本の記事の作成だ。取材対象は、文化・芸能から政治・経済まで。「仕事は相当キツかったが、確実に力はつきました」。

しかし、三年たったところで不満もでてきた。通信社の記者は署名原稿の数で社内及び業界内の評価が決まるのだが、AP通信は最大手なだけに、所帯も大きく、実力があってもなかなかその機会を与えてもらえない。

そこで、もっと署名原稿を書くチャンスが高く所帯の小さい通信社としてフランスのAFP通信に応募する。面接官は開口一番「お前はいくら欲しい」と聞いてきた。それに対して、蟹瀬さんは「Sky is the limit.(高ければ高いほど良い)」と答える。かなり強気なこたえ方だと思うが、海外の転職では珍しくないことなのだという。「実力主義の海外では雇ってもらうという受身の意識で就職活動に臨む人は日本ほど多くありません。どちらかというと働いてやるんだという意識の方が強いんです。僕もそうでした。会社も自分も対等だという意識なのです」。

AP時代の2倍の年収で採用された蟹瀬さんは、当初の希望どおり、署名原稿もばんばん書ける、AFP東京支局のエース格の記者となる。AFPは待遇も居心地も良く10年近く在籍する。

その後1年間の米国留学をはさみ、今度は、英字週刊誌TIMEの東京特派記者に転身する。TIMEでは、記事の配信だけではなく、テーマを決めて、事実の背後にあるものを分析しまとめる編集的な業務も担当した。
一生懸命やっていれば、助けてくれる人が自然と現れるものです
91年大きな転機が訪れる。取材で訪問した日本のテレビ局から、報道番組のキャスターをやらないかという誘いを受けたのだ。

「外国企業で働いていたそれまでの十数年間、日本のことを海外に報道してきましたが、一方で日本人も海外のことをほとんど知らないという思いがありました。報道番組のキャスターならそれがやれると思い新しい仕事にチャレンジすることにしたのです」

活躍の場を日本のテレビの世界に転じた蟹瀬さんは、TBS「報道特集」のキャスターとなる。蟹瀬さんは、徹底して現場にこだわり、スタジオを飛び出し危険な場所にも厭わず赴いた。その甲斐あって数々のスクープをものにする。

その後、様々な番組のキャスターを歴任し、現在は文化放送のニュース番組「蟹瀬誠一ネクスト」のメイン・キャスターを務めている。

経歴だけを見ると、なんの挫折も知らずに、順調にキャリアを築いてきたように見える蟹瀬さんだが、自分の人生を振り返ったとき、必ずしも、計画的に歩んできたわけではないと語る。

「僕は、その時その時に自分がやりたいことを一生懸命やって来ただけなんです。一生懸命やっていれば、助けてくれる人が自然と現れるものです。だから人との出会いは大切にしなければなりません。それと、チャンスがきたときにそのチャンスをつかみ取れるだけの準備をしておくことが大切。僕の大好きな言葉に、Chance favors the preparedがあります。これは準備ができている人にチャンスは微笑む、という意味です。僕が、節目節目で訪れたチャンスを手にできたのはその時々に準備ができていたからです」。

幸運の女神には後ろ髪がないといわれる。訪れたチャンスを確実につかまえるためにも「常日ごろから個人としての能力を磨き、自分自身を、より大きな人間にしておくことが大切です。そうすれば、これから訪れるであろうチャンスをつかむ機会が多くなるでしょう」。
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1950年2月8日、石川県津幡町生まれ。上智大学文学部新聞学科を卒業後、ジャーナリストとして通信社、出版社、TV・ラジオと様々なメディアで活躍する。昨年、明治大学文学部の教授に就任。専攻は同大学に新設された文芸メディア。

準備ができている人にチャンスは微笑む。常日ごろから個人の能力を磨け!
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