|
「浪速の吉本」を「全国の吉本」に躍進させた立役者がこの人、木村政雄さんだ。ところが吉本は第一志望ではなかった。新聞記者への道を断たれ、吉本に入ることになった。
「入社試験を受けたその日のうちに合格が決まるようなええかげんな会社でした。京都出身やからという理由で、京都花月(劇場)へ配属させられました」
しかしこれといった仕事があるわけではなかった。先輩は何も教えてくれない。劇場に通ううちに芸人さんと親しくなり、マネージャーという仕事に興味をもった。1年後、会社へ直訴してマネージャーになる。担当したのは、伸び盛りの横山やすし・西川きよしのコンビだった。
「マネージャーになっても先輩は何も教えてくれませんでした。僕より後は5年ほど新卒をとらなかったんです。しばらくこの序列のままやなと思い、人の3倍仕事をしたら、先輩に追いつくやろうと必死にやりました」
当時、ライバル会社に名物マネージャーがいた。彼の手法は、「嘘」と「涙」と「汗」と「よいしょ」。それが嫌だった。何より格好よくないからだ。それで自分なりのマネージャー像を作っていくことになる。それが木村さんの20代だった。
やす・きよのマネージャーを辞めると状況が一変する。掌を返したような態度をとる者も現れたのだ。木村さん個人と仕事をしてくれていたわけではなく、「やす・きよのマネージャー」としてつきあってくれていたのだと思い知らされた。
別の芸人さんのマネージャーを1年ほど担当した後、今度は東京への転勤を命じられる。といっても、当時、東京に吉本の支店があったわけではない。木村さん一人に吉本の東京進出を託されたのだ。
「本社は大阪ですから、たとえ東京であっても社内的には左遷だと思われていました。でも僕はそうは考えていませんでした。それに、掌を返した人たちを見返したい気持ちもありましたから。コースを外されたと感じれば、それがストレスになりますが、走った後に道をつければいいんです」
寝食を忘れた木村さんの働きで、東京にも拠点を確保し、吉本は全国区になる。同時に木村さんは「大人」の仕事力を身につけていったのだ。
20代から30代にかけて「大人」の仕事力を自分のものにして、年齢を重ねても「おっさんやおばちゃん」にならず、「大人」になった人が、充実した人生を送ることになる。吉本興業で多くの才能を育てた名プロデューサーから「大人」の仕事術を学びたい。 |
|
|
大人の男・女とは |
30代でその後の人生が決まる |
30代は若さに代わる要素で勝負する |
出世の意味を考える |
|
さんま、ダウンタウンにもあった“見えない10年間” |
|
自分のキャラクターを作る |
遊びながら発想力を鍛える |
段取りを上回る判断力をつける |
|
二人の自分を使い分けた横山やすし |
|
ひとつ上のポジションでものを考える |
上司を育て、使いこなす |
「プロ」か「会社人間」か |
|
戦略性に長けている島田紳助 |
|
TOPに戻る |
|
|
|