【 Vol.2 】 天職家の自己紹介 その2
アラウンド30世代の皆さま、「俺も随分オトナになったな・・・」と感じること、多いのではないですか?
会社組織においては『若手層』ではなくなり、会社によってはマネージメント層へ本格仲間入り・・・私生活では結婚や、親の現役引退など「社会のなかでもポジショニングが変わってきたな・・・」と、オトナの重みを感じられているのでは?
このコラムは、そんなアラウンド30の皆さまへ贈るキャリアの悩み解決コラムです。
講師の本田勝裕氏は、学生・社会人のキャリア形成、企業の人材採用などのコンサルタントとして活躍中。
組織心理学「FFS理論」と、コーチングの最先端技術である「ソリューションフォーカスドアプローチ」をベースに、アラウンド30世代:オトナのキャリアの悩みを解決します。
社会責務やら、悩みやら、ついこの前まで頭を悩ませていた問題とはちょっと違う「いわゆるおとなの悩み」が出てきはじめたアラウンド30の皆さま・・・「楽スルナカレ、クルタノシモウ」!
第一部「カッコエエ自慢話」
1985年、僕は4/1に入社する前に、
結婚(2/25)→内定(3/23)→卒業式(3/25)という不思議な順番で社会に出た。
当然、就職活動をしているときに、
面接官に「なぜ学生結婚をしたのか?子どもができたのか?」
という問いかけに、「いいえ」とだけ答えた。
その場で「いいえ、子どもはいません。純愛です」とは言えないフツーの学生であった。
サラリーマンとして働いた最初の会社では、
・1年目、つまらん、わからん、上司だいきらい!で順調にスタートし、
・2年目、ちょっとおもろい、ちょっとわかる、ちょっと上司も好きかも!で続け、
以降3年目から11年目まで、バブルとバブル崩壊を両方体験しつつ、
職種も編集と営業の両方を体験し、雑誌を3冊創刊できた。
小さな会社だったので、順調に僕も会社も育っていく実感がそこにはあった。
31歳で課長にまで登りつめ、
リストラでは予算カットや部下である契約社員の首切りまでしたけど、
今もそのメンバーとつきあいができている。
振り返れば、幸せなサラリーマンのキャリアを築いていた。
その後、僕の功績がギョーカイに伝わり、
阪神大震災で休刊していた「あまから手帖」の再創刊にあたって、
ヘッドハンティングを受けて転職したのだ。
11年間のマスメディアでの実績と人脈を駆使して、新しいキャリアの扉を開いたのである。
ここまではただの「カッコエエ自慢話」であった。
第二部「苦しいプライド話」
ヘッドハンティングを受けて営業トップとして転職した会社は、
「あまから手帖」という雑誌の出版元である。
実はこの雑誌の再創刊にあたって、僕は僕をハントしてくれた人を逆ハントしていた。
マガジンハウスの「ハナコウエスト」の前編集長だったSさん。
彼女は僕より一回り上で、僕が前の会社にいるときから、よく可愛がってくれた人である。
そのSさんと僕は、まるで結婚するかのように、
同じ屋根の下で「関西唯一のグルメ雑誌の復刊」を目指して働いた。
ところが段々うまくいかなくなる。
原因は以下のところかな〜。
- 営業責任者である僕が数値目標の3/4しか達成できない
- 編集方針や営業方針について編集長との確執が大きくなり、意見がまとまらない
- 妻がパニック障害になり、営業途中でも緊急帰宅することが多くなる
そして極めつけが、
- 味覚障害になる
関西グルメの一流雑誌の営業トップが味覚障害では、クライアント(広告主)や広告代理店の担当者との話し合いにも自信がもてない。
そして僕は入社後たった10ヶ月でケツを割ることになった。
それは同時に12年間キャリアを積んだマスコミギョーカイからのサヨナラでもあった。
34歳の2/1、僕は出社時間を気にせず寝ていられる自分の情けなさに打ちのめされた。
息子は当時小学校5年生。ある日僕にこう言った。
「お父さん、心配せんでもいいよ。いざとなったら僕が新聞配達するから」
これは息子の精一杯の父への慰めであった。
しかし僕にとっては屈辱そのもの、息子に背を向けて涙を隠すのが精一杯だった。
失業手当をもらい、再就職先探しに向かう職安には、
目の淀んだ元サラリーマンたちがたくさんいた。
「こんなヤツラと僕は違う。早くここから脱出せな!」という焦りがあり、
「僕は12年近くマスコミにいたのだ。絶対誰かが僕を探しにくる」というプライドがあった。
そこで僕は職安のスタッフに
「マスコミで、できれば雑誌業、肩書きは課長以上、年収は600万円」と言ってみた。
するとそのスタッフは顔を上げもせず、
ただ無表情に「ありませんねー。見たこともないです」とだけ言った。
それでも僕は「こんなはずじゃない。きっと星の王子様が!」と思っていた。
自分が失ったものの大きさに気づかず、
ただちっぽけなプライドという紙袋だけを抱えて帰路についた。
そんな暗い数ヶ月のある日、職安から帰る途中に一本の電話がかかってきた。
ここからはクルタノシイ話で書いていこう。
本田 勝裕
キャリア・コンサルタント。有限会社ポンタオフィス代表取締役。
就職、創業、進学をテーマにしたコンサルタント。1962年生まれ。神戸在住。1985年甲南大学経営学部経営学科卒業。同年、(株)学生援護会に入社し、11年間『an』の編集及び企画業務に携わる。また、学生・OL向けのイベント、セミナーもプロデュース。同社退社後、(株)クリエテ関西(あまから手帖版元)で広告企画部長を経て、1997年1月にキャリア・コンサルタントとして独立。
現在は、企業や学生を対象に講演及び執筆活動を行っている。また、キャリア支援ホームページ「ポンタのキャリアゼミナール」やメーリングリストを主宰。授業・講演実績約506本(90分単位)、コラム執筆約100本、本出版1冊(すべて2009年実績)。社会人、学生がお互いに学びあう学校、ポンタキャリアカレッジも主催。
自分と組織の関係性、コミュニケーション能力、自分マーケティング能力などについてのセミナーが反響をよんでいる。