幻聴を聞くまで追い込む例も… 本当にあった「やりがい搾取」4つのケース

仕事をする上で「やりがい」は大切。でも「やりがいがあるから」と過酷な労働を強いられることがあってはなりません。

年間5000件以上の労働相談に関わっているNPO法人POSSE代表の今野晴貴さんに「やりがい搾取」の4つの実例を聞きました。

ケース1|「憧れ」を利用して人を使い捨てるアニメ制作会社

Aさんは高校時代からの憧れだった人気のアニメーション制作会社に入社しました。担当業務は「制作進行」。アニメ制作の工程とスケジュール管理、スタッフの配置と管理、アニメーターが描く原画・動画の素材管理などが主な仕事でした。

入社早々、Aさんは長編アニメ映画の制作チームに抜擢されます。憧れの現場で働き、作品のエンドロールに自分の名前を見つけたときは、心から誇らしく思えたそうです。

ただし、問題は労働時間でした。Aさんの業務は煩雑をきわめ、残業が100時間を超える月があるなど、労働時間が異常に長かったにもかかわらず、会社は「裁量労働制だから」と残業代を1円も支払わなかったのです。

※詳しくは→裁量労働制とは?残業代は出ない?

裁量労働制でも休日出勤や深夜労働をした場合は、会社は休日出勤分の給与や深夜手当を支払わなければなりません。ですが、その会社ではAさんだけではなく周りの同僚や先輩社員も違法な長時間労働を強いられていて、体を壊す人も少なくありませんでした。

それでも周りの人たちが「好きな仕事だから」と働き続ける姿を見て、「おかしい」と感じたAさんはアニメ制作会社を提訴。会社はAさんに未払いだった深夜手当などおよそ300万円を支払いました。 

解説|やりがい搾取には2つのパターンがある

今野晴貴さん(以下、今野):このケースはやりがい搾取の典型例といっていいでしょう。

やりがい搾取には、大きく分けて2パターンがあります。

まず1つめが、「好きな仕事ができる」「好きなことでスキルアップできる」といった夢や希望を利用して過酷な労働を強いるパターン。もう1つは、「社会的に意義のある仕事をしている」という「やりがい」を偽装して低賃金で過剰に働かせるパターンです。

Aさんの場合は、典型的な前者のパターンといえるでしょう。憧れの業界で働き始めたところまでは良かったのですが、残業が月100時間を超えるなど長時間労働を強いられていたにも関わらず、会社が裁量労働制を悪用して深夜手当などの割り増し給与を一切支払わなかったのは明らかに違法といえます。

Aさんが適用されていた裁量労働制(専門業務型)は本来、弁護士、公認会計士、建築士、税理士など高度な専門知識と経験を持つ労働者を前提に制度化されたもので、働く場所と時間を本人の裁量で自由に決められるからこそ、残業代などが支払われないことになっています。

しかしAさんの場合、新卒入社と同時に裁量労働制が適用されていました。入社したばかりで働く場所と時間を自分の裁量で決めるなど、普通に考えれば無理なことです。

明らかに「人件費を払いたくない」という会社側の悪質な意図を感じます。いわゆる「名ばかり裁量労働制」で、Aさんにはきちんと残業代が支払われるべきだったのです。

ケース2|成長意欲を利用して「自主練習」させるエステサロン

美容やファッションに興味のあったBさんは、美容専門学校を卒業して大手エステサロンに入社し、念願のエステティシャンとして働き始めました

ところが、研修を終えて店舗に配属されると、いきなり激務を強いられました。営業時間は11時〜21時ですが、新人は朝7時半に出勤して先輩相手にエステの練習営業時間終了後も居残りで24時近くまで練習させられ、休憩もほとんど取れません。

昼食は仕事の合間にサンドイッチやおにぎりを口に入れるくらい。トイレにもなかなか行けず、Bさんの同僚は3カ月で膀胱炎になってしまいました。

毎月80時間以上の残業がありましたが、あくまでも「先輩がつきあってくれる自主練習」という扱いなので残業代はゼロ。それでもBさんは、「技術を習得すれば、この世界で生きていける」と自分に言い聞かせて働き続けました。

ところが問題はそれだけではありませんでした。そのエステ店には、従業員に対して売上げ目標やグッズ販売のノルマがあり、目標に達しない月は、美容グッズを自腹購入させられたのです。Bさんは、その購入費のためのローンを組むことになり、生活自体が成り立たなくなってしまいました

※参照→自爆営業の実態|強要されたら違法?拒否する方法も解説

こうして憧れのエステティシャンにはなったものの、Bさんは1年も経たずに退職しました。

解説|人気の業界は「使い捨て」しても次々と人が集まる

今野:ここで紹介したのはエステ業界の例ですが、よく似た構造の業界として美容師の業界があげられます。エステと同様に「練習」と称して、開店前と閉店後に時間外労働を強制され、しかも残業代はゼロ

それでも人気の仕事ですから、過重労働で人が辞めていっても代わりの新人が次々に入ってきます。だから業界の悪しき体質がなかなか改善されないのです。

特に美容師は技量が認められれば独立して店が出せますし、有名になれば自分の名前がブランドになります。いつの時代にも、そんな美容師に熱烈に憧れる若者が一定数いるのでしょう。

それだけではありません。私が話を聞いたエステサロンで働く女性は、辞めたいと思っても「あなたを信頼して通ってくれているお客様を見捨てるのか」と会社に言われて辞められないと話していました。

このように美容師やエステティシャンの場合は、「顧客を人質に取られて辞められない」というケースもあるようです。

ケース3|高い理想の裏で過酷な労働を強いる通信制高校

大学生のCさんは、あるインターネット通信制高校の教育理念に感銘を受けて教員を志しました。

その高校は、先進的な教育方法で不登校の生徒でも個性を自由に伸ばせるだけでなく、ICT(情報通信技術)活用などで業務効率化を図って教育の質を高めるという触れ込みが注目を集めていたのです。

Cさんは、自分もその革新的な教育にぜひ携わりたいと考えて教員免許を取得。新卒でその高校のクラス担任として働き始めました。

Cさんがその高校に対して最初に不信感を抱いたのは、給与に関してでした。募集要項には「初任給23万円」と書かれていたのに、その金額には固定残業代40時間分の約5万5000円が含まれていたのです。

つまり、基本給は約17万5000円時給換算すると1100円ほどになり、最低賃金(東京都の最低賃金は1,041円/2022年2月時点)に近いレベルの給与でした。

一方、業務量は膨大でその給与では到底見合わないほどでした。担任として150名もの生徒を受け持ち、授業やレポートの採点、オンライン面談からSlack(コミュニケーションツール)による日常連絡など、まともに休憩も取れなかったといいます。

いくらネット対応とはいえ、150名の生徒とコンタクトを取り続けるとなると、24時間ほとんど気が休まるヒマがありません

「これでは生徒の個性を伸ばすことなんてできない!」と理想と現実のギャップに苦しむCさんは、次第に心身に異常を来すようになります。そして体調不良により1年で退職することに。

退職直前には、生徒からのSlackの通知音が幻聴で聞こえてくるほど、Cさんは日々の業務に追い詰められてしまっていたのでした。

解説|「社会的意義」を口実に処遇の悪さを納得させる

今野:これは「やりがい搾取」の2つめのパターン、「社会的に意義のある仕事をしている」というやりがいを偽装する典型例と言えます。処遇が悪くても「やりがい」や「社会的意義」を口実に労働者を納得させようとするやり方です。

この高校は、独創的な通学スタイルといい、各界の著名人が行う独創的な特別授業といい、大きな話題になりました。通信制の高校としては現在、日本一の生徒数を誇っています。

おそらく生徒数が急増したためだと思われますが、その理念とは裏腹に教員の過重労働が問題になりました。所轄の労働基準監督署による是正勧告もあって、教員の処遇は多少改善されているようですが、学校側と教員組合との対立はいまだ解消していないと聞いています。

この高校のように、教育現場もしばしば「やりがい搾取」の現場になり得ます。教育は、子どもたちを教え導くという崇高な仕事ではありますが、教員といえども生身の人間であり、生活していくにはそれなりの収入と余暇が必要です。理想だけで生きていくことはできません。

にもかかわらず、教員の理想を利用する形で、「やりがいある崇高な仕事だから」と低処遇で過剰な要求をする学校や塾が存在するのも事実なのです。

ケース4|「待っている人がいる」という弁当宅配会社の落とし穴

Dさんは自他共に認めるマジメな性格。もともと高齢者福祉や社会貢献に関心が高く、実際に高齢者施設で介護スタッフとして働いた経験もあります。

そんなDさんが新たな勤務先に選んだのが、大手外食チェーンが手がける高齢者向け弁当宅配サービスの営業所。マジメな性格や高齢者福祉に対する意識の高さ、それに介護スタッフとして働いた経験を買われ、Dさんはすぐに営業所長に登用されます。

しかし、Dさんを待ち受けていたのは膨大な業務と違法な長時間労働でした。

いつの間にか、その地域にある2つの営業所の所長を任されることになり、20名を超えるスタッフの労務管理はもちろん、朝は配達前の弁当の検品に始まり、営業所の掃除から販促キャンペーンの実務、夜は利用者からの苦情対応と配達員へのフォローと息をつく暇もなかったそうです。

配達員の都合がつかないときは、自ら車を運転して数十件の届け先を回ることもしばしば。基本的に、Dさんの仕事に曜日や祭日は関係なく、残業が170時間を超える月もありました。

それでも、Dさんはあくまで仕事に前向きでした。自分で調理できない人、家族や介護サービスに頼れない人など、お弁当を待っている高齢者がたくさんいたからです。

「私たちの届けるお弁当を待っている人がいる限り、私は頑張れる。苦しいけど、この苦しさがむしろ自分の力になる」と自らに言い聞かせ、日々誇りを胸に業務に邁進しました。

しかし、無理はいつまでも続けられません。やがてDさんの体は悲鳴を上げ、原因不明の体調不良が続くことに。「このまま眠ったら二度と目が覚めないのでは?」という恐怖で夜も眠れなくなったDさんは、ついに精神を病んでしまったのです。

解説|使命感、責任感が強い人ほど「やりがい搾取」されやすい

今野:仕事に対する使命感や責任感の強さは「やりがい」につながるものです。しかし、先ほどの通信制高校の例でも見たように、仕事にいくら「やりがい」があっても、それだけで働き続けることはできません。

Dさんのケースも、「苦しくても自分の頑張りが社会の役に立つ」という思いで体にムチ打ってきたものの、最後は体がついてきませんでした。

Dさんはその後、精神疾患という正式な診断が出て会社を休職し、労働者支援団体のサポートを得て会社側と交渉し、長時間労働の是正などを条件に和解しました。

真面目で使命感や責任感が強く、仕事に前向きな人ほど「やりがい搾取」のワナにかかりやすいと言えます。

また、「やりがい」とは少しニュアンスが違いますが、居酒屋やレストランのアルバイトなど、「仲間意識」や「連帯感」を持たせて違法に働かせるケースもあります。「苦しいけど、みんなで頑張ろうよ」「みんな頑張ってるんだから、一人だけ抜けるなんて言うなよ」と言いくるめて、違法な長時間労働をさせたり、残業代なしで働かせたりするのです。

少しでもおかしいと思ったら専門家に相談を

今野:「やりがい搾取」されていることに、当事者ほど気づきにくいものです。残業代未払いもあってはならないことですが、何よりも長時間労働は心身の健康を破壊します。少しでもおかしいと感じたら、自分の労働条件を見直して違法性がないかどうか確認してください。

ご自身で判断するのが難しい場合は、個人加盟の労働組合や労働者側の弁護士など、労働問題の専門家に相談しましょう。私たちNPO法人POSSEにも気軽にご相談ください。

取材・文/盛田栄一

この記事の話を聞いた人

NPO法人POSSE代表

今野晴貴

1983年仙台市生まれ。一橋大学大大学院社会学研究科博士課程修了。ブラック企業対策プロジェクト共同代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。『ブラック企業』で2013年流行語大賞トップテン受賞。著書に『ブラック企業−−日本を食いつぶす妖怪』(文春新書)など多数。